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    松阪駅の歴史物語

    松阪駅のれきしものがたり ~むかしといまとこれから~

    はじまり はじまり

    みんなが住んでいる松阪の町。その真ん中には、いつもたくさんの人がいて、たくさんの電車が行き来する「松阪駅」があるよね。みんなも、お父さんやお母さんと一緒に電車に乗ったり、駅に遊びに行ったりしたことがあるかな?

    ピカピカの特急電車が「シュッ!」と走っていく姿、かっこいいよね。駅の中のお店でおいしいものを買ったり、お友達や家族を見送ったり、迎えたり。松阪駅は、いつも私たちの暮らしのすぐそばにある、とっても大切な場所だ。

    でもね、この松阪駅が、今みたいに立派な姿になるまでには、ながーい、ながーい物語があったんだ。それは、まだ自動車も飛行機もなかった、ずーっと昔の時代から始まる、冒険と、競争と、ちょっぴり悲しいお別れと、そして未来への希望がいっぱいつまった、とっても面白いお話なんだよ。

    さあ、これから一緒に、タイムマシンに乗った気分で、松阪駅の誕生から今日までの大冒険に出発しよう!松阪駅がどんなふうに生まれて、どんな電車が走って、どうやって今の姿になったのか。この物語を読めば、いつもの松阪駅が、もっともっと特別な場所に思えてくるはずだよ。

    準備はいいかな?出発、進行!

    1.ものがたりの はじまり ~お伊勢さんのための駅ができた!~

    汽車がなかったころのお話

    今から130年以上も昔、明治時代が始まったばかりのころのお話だよ。そのころの日本には、まだ今みたいに便利な電車や自動車はほとんどなかったんだ。遠くへ出かけるときは、みんな自分の足で、何日も何日もかけて歩いて旅をしていたんだよ。

    この三重の地には、昔から日本中の人々が「一度は行ってみたい!」とあこがれる、とっても神聖な場所があった。そう、「お伊勢さん」として親しまれている伊勢神宮だ 。お伊勢さんにお参りに行くことを「お伊勢まいり」って言うんだけど、これがもう、とんでもなく大変な旅だったんだ。「一生に一度のお伊勢まいり」なんて言葉があったくらい、特別なことだったんだよ。

    東京や大阪みたいな遠い町からだと、歩いて何週間もかかった。途中には高い山があったり、大きな川があったり。雨が降れば道はぬかるみ、夜になれば泊まる宿を探さないといけない。旅の途中でお金がなくなっちゃう人もいたかもしれない。それでも、みんな「お伊勢さんにお参りしたい!」という強い気持ちを持って、一生懸命歩いたんだ。

    そして、長い旅の末に伊勢神宮へ向かう人々が、体を休めたり、おいしいものを食べたりする大切な場所が、ここ「松阪」だったんだ 。松阪は、お伊勢さんへ向かう旅人たちでとってもにぎわう「宿場町(しゅくばまち)」だったんだね。

    「鉄の馬」がやってくる!

    そんな時代に、外国からすごい発明品がやってきた。それは「汽車(きしゃ)」だ!

    石炭を燃やして、水を沸騰させて、その蒸気の力で「シュッポ、シュッポ」と力強く走る、鉄でできた大きな乗り物。煙突からは黒い煙をモクモクと吐き出し、大きな汽笛を「ポーッ!」と鳴らしながら走る姿は、まるで生きている巨大な竜か、鉄でできた馬のようだった。

    当時の人々は、初めて見る汽車にびっくり仰天!「なんだあれは!?」「鉄の塊が自分で動いてるぞ!」って、腰を抜かした人もいたかもしれないね。

    この魔法のような乗り物「汽車」があれば、あんなに大変だったお伊勢まいりが、もっとずっと楽になるんじゃないか?たくさんの人が、もっと気軽にお伊勢さんへ行けるようになるんじゃないか?そう考えた人たちがいたんだ 。

    「よし、お伊勢さんのために、この三重の地に鉄の道『線路』を敷いて、汽車を走らせよう!」

    この大きな夢が、松阪駅の物語のすべての始まりだったんだ。

    ついに誕生!ぼくらの松阪駅

    夢を実現するために、地元の偉い人たちがお金や知恵を出し合って、「参宮鉄道(さんぐうてつどう)」という会社を作った 。参宮っていうのは、「お伊勢さんにお参りする」っていう意味。名前からも、この鉄道がお伊勢さんのために作られたことがよくわかるよね。

    そして、いよいよその日がやってきた。1893年(明治26年)の12月31日、一年の最後の日。津から宮川までの線路が完成して、汽車が走り始めたんだ。そして、そのちょうど真ん中あたりに、僕たちの「松阪駅」が誕生したんだよ!

    開業の日は、きっと町中がお祭り騒ぎだったろうね。たくさんの人が駅に集まって、「これが汽車かー!」「大きいなあ!」って、目をキラキラさせながら見ていたはずだ。初代の駅舎は、木でできた、あたたかみのある建物だったんだって 。

    駅ができたことで、松阪の町はもっともっと活気づいた。全国からお伊勢まいりに来る人たちが、松阪駅で汽車を降りて、町は旅人であふれかえった。松阪は、お伊勢さんへの玄関口として、日本の新しい地図にその名前をしっかりと刻んだんだ。

    国の鉄道へお引越し

    参宮鉄道は、たくさんの人を運んで大成功した。でも、しばらくすると、国が「日本中の大事な鉄道は、これからは国がまとめて面倒を見ます」という法律を作ったんだ。

    そして1907年(明治40年)、参宮鉄道も国のものになった 。そして、線路の名前も「参宮線(さんぐうせん)」という、今でも伊勢市駅のほうへ行く線路の名前として残っている、かっこいい名前になったんだよ 。

    実は、もとの参宮鉄道は「これからはもっとお客さんが増えるだろうから、線路を2本に増やそう(複線化)!」「蒸気じゃなくて、電気の力で走るもっと速い電車にしよう(電化)!」っていう、すごい未来の計画を立てていたんだ 。でも、国の鉄道になったことで、そのすごい計画は一旦ストップしちゃったんだ。ちょっぴり残念だよね。

    でも、この「ストップしちゃった計画」が、この後、松阪駅で繰り広げられる、もっともっと面白い物語のきっかけになるんだ。そう、強力なライバルの登場だ!

    2.ライバルがいっぱい!にぎやかになった松阪駅

    国の鉄道になって、しばらく平和な時間が流れていた松阪駅。でも、ここからがすごかった!まるでヒーローショーみたいに、新しい電車が次から次へと松阪駅にやってきて、駅はどんどん大きくてにぎやかな場所に変わっていったんだ。

    最初の仲間、かわいい小さな電車

    最初にやってきたのは、1912年(大正元年)のこと。国鉄の駅のすぐお隣に、新しい駅ができたんだ。そこから出発するのは、「松阪軽便鉄道(まつさかけいびんてつどう)」っていう、ちょっと小さな、かわいい電車だった 。

    「軽便」っていうのは、「手軽で便利」っていう意味。その名の通り、この電車は、松阪の町から、櫛田川をさかのぼった山の方にある大石っていう村までを結んでいたんだ 。線路の幅も、国鉄の汽車よりちょっと狭くて 、トコトコ走る姿がとっても愛らしかったんだって。

    この電車は、山で採れた木材を運んだり、村の人たちが町の学校や病院に行くのを手伝ったり、みんなの毎日の暮らしを支える、とっても優しい電車だったんだ。後には、港のほうまで行く線路もできて、ますます便利になったんだよ 。

    この松阪軽便鉄道ができたことで、松阪駅は歴史上初めて、違う会社の電車に乗り換えることができる「のりかえ駅」になった。松阪駅が、ただの停車場から、たくさんの人が行き交う「交通の交差点」へと進化を始めた、記念すべき第一歩だったんだ。

    最強のライバル、ピカピカの近鉄が登場!

    次にやってきたのは、とんでもなくすごいヤツだった!

    1930年(昭和5年)、大阪のほうから、ものすごいパワーを持った鉄道会社が松阪にやってきたんだ。その名は「参宮急行電鉄(さんきゅうきゅうこうでんてつ)」!そう、今の「近鉄(きんてつ)」のご先祖様だ 。

    この電車は、今までの汽車とは全然違った。石炭の煙をモクモク吐き出すんじゃなくて、電気の力で「ウィーン」と静かに、そしてものすごく速く走る、ピカピカの電車だったんだ。まるで未来からやってきた乗り物みたいだっただろうね。

    そして何よりすごかったのが、この電車に乗れば、西の大都市・大阪から、お伊勢さんまで、一度も乗り換えなしで、あっという間に着いちゃうことだった 。これは、国鉄の汽車にとっては、まさに「黒船来航!」っていうくらいの大事件だった。

    ここから、国鉄(今のJR)と近鉄の、お客さんをめぐる大競争が始まったんだ!運動会のかけっこみたいに、「どっちが速いか!」「どっちが快適か!」「どっちが便利か!」って、お互いに一生懸命サービスを競い合ったんだよ 。

    この大競争があったから、今の松阪駅は、南側がJRの駅、北側が近鉄の駅っていう、ちょっと珍しい形になっているんだ 。昔、二人のライバルが背中合わせでにらみ合っていた名残が、今でも駅の形として残っているなんて、面白いよね。

    もう一人の仲間、山の奥へと続く名松線

    すごいライバルの近鉄が登場して、国鉄も「うかうかしていられないぞ!」と思った。そして、近鉄がやってきたのとほぼ同じころ、国鉄も松阪駅から新しい線路を延ばしたんだ。

    1929年(昭和4年)に開業した、その路線の名前は「名松線(めいしょうせん)」 。

    この名前には、大きな夢がこめられていたんだ。本当は、松阪の「松」と、もっと西にある名張(なばり)という町の「名」をつないで、松阪と名張を結ぶ計画だったんだよ 。でも、残念ながらその夢は途中で終わってしまって、今は伊勢奥津(いせおきつ)という、自然豊かな山のふもとの駅が終点になっているんだ。

    でもね、名松線は、沿線に住むおじいちゃんやおばあちゃん、学校に通う子供たちにとって、なくてはならない大切な足になった。山の村々と松阪の町をつなぐ、大事な命綱のような役割を果たしてきたんだよ。

    いろんな電車が大集合!ここは電車のデパートだ!

    さあ、見てごらん!このころの松阪駅は、本当にすごかった。

    • 日本中をつなぐ、国の大きな汽車(国鉄・参宮線)
    • 大阪や名古屋みたいな大都市からやってくる、速くてカッコいい私鉄の電車(近鉄・山田線)
    • 地域の村や港と町を結ぶ、みんなの暮らしを支える小さな電車(松阪線と国鉄・名松線)

    こーんなに性格の違う、いろんな種類の鉄道が、たった一つの松阪駅に大集合していたんだ。まるで、いろんなおもちゃが並んでいる「電車のデパート」みたいだよね!

    松阪駅は、ただ電車が来るだけの場所じゃなくて、いろんな会社の、いろんな技術やサービスがぶつかり合って、お互いに成長していく、日本でも有数のエキサイティングな駅になったんだ。

    3.たいへんな時代と、さよならした電車

    たくさんの電車が集まって、日本一にぎやかだったかもしれない松阪駅。でも、楽しい時代ばかりじゃなかった。日本中が暗い影に包まれた、悲しくて大変な時代がやってきたんだ。

    戦争と駅の悲しいお話

    それは、日本が外国と戦争をしていた時代のこと。

    人々の暮らしはどんどん苦しくなって、笑顔が消えていった。そして、それは鉄道も同じだった。お伊勢まいりに行く楽しいお客さんを運ぶ代わりに、兵隊さんや武器を運ぶことが増えていったんだ。

    そして、もっと悲しいことが起きた。戦争を続けるためには、武器を作るための鉄がたくさん必要になった。国は「国のために、家にある鉄のなべや、お寺の鐘まで差し出しなさい」と言ったんだ。

    そして、ついに鉄道の線路にまでその手が伸びた。昔、参宮鉄道が「将来のために」と作ってくれた2本あった線路(複線)のうちの1本が、「この鉄も武器にするから」と言って、はがされてしまったんだ 。せっかく未来のために作られた線路が、戦争のために消えてしまうなんて、本当に悲しいことだよね。

    がれきの中から生まれた、たくましい駅前

    長い戦争が終わった。松阪の町も、空から爆弾が落とされて、たくさんの人が悲しい思いをした。

    戦争が終わった直後の松阪駅の前は、戦争で壊された建物のがれきが残っていて、めちゃくちゃだった。でも、そんな中でも、人々はたくましかった。

    何にもなくなった広い土地に、人々が自然と集まってきて、お互いに品物を売ったり買ったりする「闇市(やみいち)」っていう市場ができたんだ。食べ物や服、生活に必要なものが何でもそろっていて、そこはいつも人でごった返していた。その活気とエネルギーはものすごくて、当時の人はその様子を「三重のシャンハイ」って呼んだくらいなんだ 。

    戦争で何もかも失ったけれど、「明日からまた頑張って生きていこう!」っていう、人々の力強い声が聞こえてくるような場所だったんだね。

    さようなら、ぼくらの松阪線

    戦争が終わって、日本はものすごいスピードで元気を取り戻していった(高度経済成長)。町にはビルが建ち、家にはテレビや冷蔵庫が置かれるようになった。

    そして、人々の乗り物も大きく変わった。一家に一台、「自動車」を持つのが当たり前の時代がやってきたんだ(モータリゼーション)。

    みんなが便利で速い自動車に乗るようになると、困ったのが、地域を走る小さな鉄道だった。

    松阪駅の仲間だった、あのかわいい電車「松阪線」も、だんだんとお客さんが少なくなってしまったんだ。自動車や、新しく走り始めたバスとの競争に、どうしても勝つことができなかった 。

    そして、とうとう悲しい日がやってくる。1964年(昭和39年)の12月14日。松阪線は、みんなに惜しまれながら、52年間の長い歴史に幕を下ろしたんだ 。最終日、電車はどんな気持ちで最後の道のりを走ったんだろうね。

    松阪線がなくなった後、駅があった場所には「三交百貨店(さんこうひゃっかてん)」という大きなデパートが建てられた 。たくさんの人が買い物に来て、とてもにぎわったんだよ。でも、そのデパートも時代とともに役目を終えて、今は広い駐車場になっているんだ 。

    でも、松阪線の思い出が完全に消えてしまったわけじゃない。今でも、松阪の町をよーく探してみると、線路があった場所が、そのまま生活道路やバス専用道路として使われているところがあるんだ 。昔、電車が走っていたカーブを、今はお父さんの車が走っているかもしれない。そう思うと、なんだか不思議な気持ちになるよね。

    JRの駅が新しく、強く生まれ変わった!

    小さな仲間とのお別れはあったけど、国鉄の松阪駅は、この時代に新しく、そして力強く生まれ変わったんだ。

    まず、駅の建物。1962年(昭和37年)、戦争からの復興と、新しい時代のシンボルとして、鉄筋コンクリートでできた、大きくて立派な駅舎が完成したんだ 。そう、これが今みんなが見ている、JR松阪駅の建物なんだよ。もう60年以上も、この場所でみんなを見守ってくれているんだね。

    そして、線路の名前も大きく変わった。1959年(昭和34年)、和歌山県のほうまで続く、長ーい線路「紀勢本線(きせいほんせん)」が全部つながったんだ。これを記念して、今まで「参宮線」の一部だった松阪駅の区間も、この紀勢本線の一部になったんだよ 。

    これによって、松阪駅は、ただお伊勢さんに行くだけの駅から、名古屋と紀伊半島という大きな地域を結ぶ、とっても重要な駅へとパワーアップしたんだ。

    国鉄からJRへ、大きな変身!

    そして、駅の歴史の中で、もう一つ大きな出来事が起こる。

    1987年(昭和62年)4月1日。長い間、日本の鉄道を支えてきた「日本国有鉄道(国鉄)」が、いくつかの会社に分割されて、新しい民間の会社として再出発することになったんだ。

    そして、松阪駅の国鉄部分は、「東海旅客鉄道」、みんなが知っている「JR東海」という新しい会社に引き継がれたんだよ 。

    これは、1907年に国の鉄道になって以来の、最大の大変身だった。これからは、もっとお客さんのことを考えて、もっと良いサービスをしていこう!という新しい時代が始まったんだ。

    4.今の松阪駅と、キラキラの未来へ

    さあ、タイムマシンの旅もいよいよ現代に到着だ。大変な時代や、悲しいお別れを乗り越えて、松阪駅は今、どんな姿になっているんだろう?そして、これからどんな未来に向かって走っていくんだろう?一緒に見てみよう!

    JRと近鉄、仲良しだけどちょっぴりライバル?

    今の松阪駅を歩いてみると、南側の改札はJR東海、北側の改札は近鉄が管理していて、二つの会社が一つ屋根の下で仲良く暮らしているように見えるよね 。

    昔は火花を散らして競争したライバル同士だったけど、今はすっかり落ち着いて、お互いの得意なことで役割分担をしているんだ。

    • JR東海は、「紀勢本線」と「名松線」を走らせて、三重県の中の移動や、地域の人の足として活躍している。
    • 近畿日本鉄道(近鉄)は、「山田線」で名古屋や大阪みたいな大都市へ、速くて便利な特急電車をたくさん走らせて、遠くへ行く人たちに大人気だ 。

    でもね、よーく見ると、昔ライバルだったころの名残が、今でもちょっぴり残っていて面白いんだ。

    それは、「ピッ!」って改札を通る時に使うICカード。近鉄の駅では「PiTaPa(ピタパ)」っていうカードが2007年から使えるようになったんだけど 、JR東海の松阪駅のあたりでは、残念ながら「TOICA(トイカ)」っていうJRのカードはまだ使えないんだ 。二つの会社の間に、まだ目に見えない境界線があるみたいだね。いつか、どっちのカードでも自由に行き来できるようになったら、もっと便利になるだろうね!

    もっときれいに、もっとみんなに優しく!

    最近の松阪駅は、どんどん素敵に変身しているのに気づいているかな?

    2013年ごろに、JR側の駅前広場が、とってもきれいにリニューアルされたんだ 。広場の真ん中には、松阪の偉い学者さん「本居宣長(もとおりのりなが)」が大好きだったという「鈴」をかたどった、大きくてかっこいいモニュメントができたんだよ 。松阪の玄関口にぴったりのシンボルだよね。

    そして、もっと大切な変化もあるんだ。駅の中には、車いすの人や、お年寄り、ベビーカーを押しているお母さんたちが楽にホームへ行けるように、エレベーターが設置されたんだよ 。

    昔の駅は階段ばっかりで大変だったけど、今の松阪駅は、誰もが安心して、気持ちよく使える「みんなに優しい駅」へと進化しているんだ。

    走る電車も、すごいヤツに大変身!

    駅だけじゃない、走っている電車もどんどん新しく、かっこよくなっているんだ!

    特に注目なのが、JR東海が走らせている特急「南紀」。2023年から、「HC85系」っていう、ものすごく新しい車両に生まれ変わったんだ 。

    この電車のすごいところは、「ハイブリッド」っていう仕組み。自動車みたいにエンジンも積んでいるけど、電気の力も使って走るから、とっても静かで、地球にも優しいんだ 。乗り心地もふわふわで、まるで雲の上を走っているみたいだよ。

    車内に入ると、座席が夕焼けみたいなきれいなオレンジ色で、とってもおしゃれ 。窓も大きくて、外の景色がよく見える。こんな素敵な電車に乗って旅ができたら、ワクワクしちゃうよね!

    これからどうなる?未来の松阪駅はもっとすごい!

    松阪駅の物語は、まだまだ終わらない。これから先、もっともっと面白くなる計画がたくさんあるんだ。

    まずは、駅の西側。今、何もない広い土地がある場所で、「松阪駅西地区複合施設整備事業」っていう、ちょっと難しい名前の計画が進んでいるんだ 。ここには、お店やホテル、みんなが集まれる広場なんかが入った、新しい大きなビルが建つかもしれないんだよ。これができたら、駅の周りはもっとにぎやかで、楽しい場所になるだろうね。松阪の新しい顔になるんだ!

    そして、もっとずーっと未来の話。みんなは「リニア中央新幹線」って聞いたことあるかな?

    磁石の力で、地面から少しだけ浮き上がって、まるで空を飛ぶように、ものすごい速さで走る夢の超特急だ。そのリニアが、将来、三重県の近くを通ることになっているんだ 。

    もしリニアができたら、今まで何時間もかかっていた東京まで、あっという間に着いちゃうようになる。そうなれば、日本中、いや世界中から、もっとたくさんの人が松阪に遊びに来てくれるようになるかもしれない 。松阪牛を食べたり、松阪城跡を見学したり。町は今よりもっともっと元気になるはずだ。

    今、松阪駅の周りで進んでいる新しいまちづくりは、そんなキラキラしたリニア時代を迎えるための、大切な準備なのかもしれないね。

    おしまい

    さあ、松阪駅をめぐるタイムマシンの旅は、どうだったかな?

    お伊勢さんのための小さな停車場として生まれた松阪駅が、たくさんのライバルと競争したり、戦争の悲しみを乗り越えたり、仲間との別れを経験したりしながら、130年以上もの長い時間をかけて、今の立派な姿になったことがわかったかな。

    松阪駅の壁や柱、線路の一本一本には、そんなたくさんの物語がぎゅーっと詰まっているんだ。

    次に松阪駅に行くときは、ちょっとだけ周りを見渡してみてほしい。JRと近鉄の改札を見比べて「昔はライバルだったんだよな」って思ったり、駅前の鈴のモニュメントを見て「本居宣長さんだ!」って思い出したり。そうすれば、いつもの駅が、まるで歴史の教科書みたいに、いろんなことを教えてくれるはずだよ。

    松阪駅の物語は、これからも続いていく。君たちが大人になるころには、駅はもっとすごい姿に変わっているかもしれない。

    でも、どんなに姿が変わっても、松阪駅が、この町の真ん中で、みんなの暮らしを支え、たくさんの出会いと別れを見守る大切な場所であることは、きっと変わらない。

    これからも、みんなで松阪駅を大切にしていこうね。

    ものがたり おしまい

  • 2025年6月28日(土)三重県松阪市の天気

    2025年6月28日(土)三重県松阪市の天気

    【快晴続く】2025年6月28日 松阪市の天気:真夏の太陽が照りつける一日

    2025年6月28日土曜日、三重県松阪市では、梅雨の存在を忘れさせるかのような、見事な青空が広がっています。当初の予報では午後に雲が増える可能性も示唆されていましたが、お昼を過ぎた現在もその気配はなく、力強い真夏の日差しが燦々と降り注いでいます。

    午前中から続く見事な晴天

    午前中から太陽は主役の座を譲らず、抜けるような青空が広がっていました。気温も朝からぐんぐんと上昇し、絶好の洗濯日和、お出かけ日和となりました。この力強い日差しのもと、多くの方が活動的に過ごされていることでしょう。

    午後も続く安定した晴天

    午後1時を過ぎた現在、松阪市の上空には雲がほとんど見当たらないほどの快晴が続いています。このあとも、この安定した晴天が続く見込みで、天気の崩れる心配はほとんどないでしょう。まさに絶好のレジャー日和と言えます。屋外で過ごされる方は、この貴重な夏の日差しを存分にお楽しみいただけます。ただし、夏の天気は変わりやすい側面もあります。万が一、空に変化が見られた場合は、念のためご注意ください。

    気温と熱中症への最大限の警戒を

    本日の最高気温は31度を超える真夏日となる予想です。これだけ日差しが強いと、実際の気温以上に暑く感じられます。湿度も高く、非常に蒸し暑いため、熱中症に対しては最大限の警戒が必要です。意識してこまめに水分を補給し、塩分も適切に摂るようにしてください。屋外での長時間の作業や運動は、無理をせず、こまめに涼しい場所で休憩を取ることが重要です。室内でも、エアコンを適切に利用して快適な室温を保ちましょう。

    紫外線も「非常に強い」レベルですので、短時間の外出でも帽子や日焼け止めなど、万全の対策をなさってください。

    夜の天気

    夜になっても気温はあまり下がらず、22度前後で推移する見込みです。日中の熱気が残るため、寝苦しい夜となりそうです。就寝時も熱中症対策を忘れず、快適な睡眠環境を整えて、今日の疲れを癒してください。

    まとめ

    今日の松阪市は、予報を覆すほどの見事な快晴に恵まれ、真夏の到来を告げるような一日となっています。このあとも続く力強い日差しを有効に活用しつつ、熱中症と紫外線にはくれぐれも注意して、素晴らしい週末の午後をお過ごしください。

    まーくんの感想

    暑いです。でも、40℃とかじゃないだけマシですね。これ書いてる今、バスを待ちながら書いてます。バスの中に入ると涼しいですよね。バスに揺られながら記事を作成するのも乙なものです。集中し過ぎて、乗り過ごしには注意しないといけないですけど。

    三重県,松阪市,天気

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