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    松阪駅の歴史物語

    松阪駅の歴史|参宮鉄道から近鉄・JRまで130年をやさしく解説

    松阪駅の歴史は、1893年(明治26年)に伊勢神宮への参拝客を運ぶ「参宮鉄道」の駅として始まりました。その後、国有化を経て近鉄の前身・参宮急行電鉄が乗り入れ、JR東海と近鉄が同居する三重県松阪市の代表駅へと発展。130年以上にわたる松阪駅の歩みを、このページでは子どもにもわかりやすい物語形式でやさしく紹介します。

    松阪駅の歴史ものがたり

    ~ むかしと いまと これから ~

    はじまり はじまり

    みんなが住んでいる松阪の町。その真ん中には、いつもたくさんの人がいて、たくさんの電車が行き来する「松阪駅」があるよね。みんなも、お父さんやお母さんと一緒に電車に乗ったり、駅に遊びに行ったりしたことがあるかな?

    ピカピカの特急電車が「シュッ!」と走っていく姿、かっこいいよね。駅の中のお店でおいしいものを買ったり、お友達や家族を見送ったり、迎えたり。松阪駅は、いつも私たちの暮らしのすぐそばにある、とっても大切な場所だ。

    でもね、この松阪駅が、今みたいに立派な姿になるまでには、ながーい、ながーい物語があったんだ。それは、まだ自動車も飛行機もなかった、ずーっと昔の時代から始まる、冒険と、競争と、ちょっぴり悲しいお別れと、そして未来への希望がいっぱいつまった、とっても面白いお話なんだよ。

    さあ、これから一緒に、タイムマシンに乗った気分で、松阪駅の誕生から今日までの大冒険に出発しよう!この物語を読めば、いつもの松阪駅が、もっともっと特別な場所に思えてくるはずだよ。準備はいいかな?出発、進行!

    1松阪駅の歴史のはじまり明治26年・1893年

    汽車がなかったころのお話

    今から130年以上も昔、明治時代が始まったばかりのころのお話だよ。そのころの日本には、まだ今みたいに便利な電車や自動車はほとんどなかったんだ。遠くへ出かけるときは、みんな自分の足で、何日も何日もかけて歩いて旅をしていたんだよ。

    この三重の地には、昔から日本中の人々が「一度は行ってみたい!」とあこがれる、とっても神聖な場所があった。そう、「お伊勢さん」として親しまれている伊勢神宮だ。お伊勢さんにお参りに行くことを「お伊勢まいり」って言うんだけど、これがもう、とんでもなく大変な旅だったんだ。「一生に一度のお伊勢まいり」なんて言葉があったくらい、特別なことだったんだよ。

    東京や大阪みたいな遠い町からだと、歩いて何週間もかかった。途中には高い山があったり、大きな川があったり。それでも、みんな「お伊勢さんにお参りしたい!」という強い気持ちを持って、一生懸命歩いたんだ。そして、長い旅の末に伊勢神宮へ向かう人々が、体を休める大切な場所が、ここ「松阪」だったんだ。松阪は、旅人たちでにぎわう「宿場町(しゅくばまち)」だったんだね。

    「鉄の馬」がやってくる!

    そんな時代に、外国からすごい発明品がやってきた。それは「汽車(きしゃ)」だ!石炭を燃やして、その蒸気の力で「シュッポ、シュッポ」と力強く走る、鉄でできた大きな乗り物。煙突からは黒い煙をモクモクと吐き出し、大きな汽笛を「ポーッ!」と鳴らしながら走る姿は、まるで生きている巨大な竜か、鉄でできた馬のようだった。

    当時の人々は、初めて見る汽車にびっくり仰天!「なんだあれは!?」「鉄の塊が自分で動いてるぞ!」って、腰を抜かした人もいたかもしれないね。

    この魔法のような乗り物「汽車」があれば、あんなに大変だったお伊勢まいりが、もっとずっと楽になるんじゃないか?そう考えた人たちがいたんだ。「よし、お伊勢さんのために、この三重の地に鉄の道『線路』を敷いて、汽車を走らせよう!」——この大きな夢が、松阪駅の物語のすべての始まりだったんだ。

    ついに誕生!ぼくらの松阪駅(1893年)

    夢を実現するために、地元の偉い人たちがお金や知恵を出し合って、「参宮鉄道(さんぐうてつどう)」という会社を作った。参宮っていうのは、「お伊勢さんにお参りする」っていう意味。名前からも、この鉄道がお伊勢さんのために作られたことがよくわかるよね。

    そして、いよいよその日がやってきた。1893年(明治26年)の12月31日、一年の最後の日。津から宮川までの線路が完成して、汽車が走り始めたんだ。そして、そのちょうど真ん中あたりに、僕たちの「松阪駅」が誕生したんだよ!初代の駅舎は、木でできた、あたたかみのある建物だったんだって。

    駅ができたことで、松阪の町はもっともっと活気づいた。全国からお伊勢まいりに来る人たちが、松阪駅で汽車を降りて、町は旅人であふれかえった。松阪は、お伊勢さんへの玄関口として、日本の新しい地図にその名前をしっかりと刻んだんだ。

    国の鉄道へお引越し(明治40年・1907年)

    参宮鉄道は、たくさんの人を運んで大成功した。でも、しばらくすると、国が「日本中の大事な鉄道は、これからは国がまとめて面倒を見ます」という法律を作ったんだ。そして1907年(明治40年)、参宮鉄道も国のものになった。線路の名前も「参宮線(さんぐうせん)」という、今でも伊勢市駅のほうへ行く線路の名前として残っている、かっこいい名前になったんだよ。

    実は、もとの参宮鉄道は「線路を2本に増やそう(複線化)!」「電気で走るもっと速い電車にしよう(電化)!」っていう、すごい未来の計画を立てていたんだ。でも、国の鉄道になったことで、その計画は一旦ストップしちゃった。でも、この「ストップしちゃった計画」が、この後の、もっと面白い物語のきっかけになるんだ。そう、強力なライバルの登場だ!

    2ライバルがいっぱい!にぎやかな松阪駅大正~昭和初期

    国の鉄道になって、しばらく平和な時間が流れていた松阪駅。でも、ここからがすごかった!まるでヒーローショーみたいに、新しい電車が次から次へと松阪駅にやってきて、駅はどんどん大きくてにぎやかな場所に変わっていったんだ。

    最初の仲間、かわいい小さな電車(大正元年・1912年ごろ)

    最初にやってきたのは、1912年(大正元年)のこと。国鉄の駅のすぐお隣に、「松阪軽便鉄道(まつさかけいびんてつどう)」っていう、ちょっと小さな、かわいい電車の駅ができたんだ。「軽便」っていうのは「手軽で便利」っていう意味。その名の通り、松阪の町から、櫛田川をさかのぼった山の方にある村までを結んでいたんだ。

    この電車は、山で採れた木材を運んだり、村の人たちが町の学校や病院に行くのを手伝ったり、みんなの毎日の暮らしを支える、とっても優しい電車だった。この松阪軽便鉄道ができたことで、松阪駅は歴史上初めて、違う会社の電車に乗り換えられる「のりかえ駅」になった。記念すべき進化の第一歩だったんだ。

    山の奥へと続く名松線(昭和4年・1929年)

    近鉄がやってくるのとほぼ同じころ、国鉄も松阪駅から新しい線路を延ばしたんだ。1929年(昭和4年)に開業した、その路線の名前は「名松線(めいしょうせん)」。この名前には、大きな夢がこめられていた。本当は、松阪の「松」と、西にある名張(なばり)の「名」をつないで、二つの町を結ぶ計画だったんだよ。でも、その夢は途中で終わって、今は伊勢奥津(いせおきつ)という山のふもとの駅が終点になっているんだ。

    でもね、名松線は、沿線のおじいちゃんやおばあちゃん、学校に通う子供たちにとって、なくてはならない大切な足になった。山の村々と松阪の町をつなぐ、命綱のような役割を果たしてきたんだよ。

    最強のライバル、ピカピカの近鉄が登場!(昭和5年・1930年)

    次にやってきたのは、とんでもなくすごいヤツだった!1930年(昭和5年)、大阪のほうから、ものすごいパワーを持った鉄道会社が松阪にやってきたんだ。その名は「参宮急行電鉄(さんぐうきゅうこうでんてつ)」!そう、今の「近鉄(きんてつ)」のご先祖様だ。

    この電車は、石炭の煙をモクモク吐き出すんじゃなくて、電気の力で「ウィーン」と静かに、そしてものすごく速く走る、ピカピカの電車だった。まるで未来からやってきた乗り物みたい。しかも、大都市・大阪から、お伊勢さんまで、一度も乗り換えなしであっという間に着いちゃう。これは、国鉄の汽車にとっては、まさに「黒船来航!」っていうくらいの大事件だった。

    ここから、国鉄(今のJR)と近鉄の、お客さんをめぐる大競争が始まったんだ!「どっちが速いか!」「どっちが快適か!」って、お互いに一生懸命サービスを競い合った。この大競争があったから、今の松阪駅は、南側がJRの駅、北側が近鉄の駅っていう、ちょっと珍しい形になっているんだ。昔、二人のライバルが背中合わせでにらみ合っていた名残が、今でも駅の形として残っているなんて、面白いよね。

    いろんな電車が大集合!ここは電車のデパートだ!

    さあ、見てごらん!このころの松阪駅は、本当にすごかった。

    • 日本中をつなぐ、国の大きな汽車(国鉄・参宮線)
    • 大都市からやってくる、速くてカッコいい私鉄の電車(近鉄・山田線)
    • 村や港と町を結ぶ、暮らしを支える小さな電車(松阪線と国鉄・名松線)

    こーんなに性格の違う、いろんな種類の鉄道が、たった一つの松阪駅に大集合していたんだ。まるで、いろんなおもちゃが並んでいる「電車のデパート」みたいだよね!松阪駅は、いろんな会社の技術やサービスがぶつかり合って成長していく、日本でも有数のエキサイティングな駅になったんだ。

    3たいへんな時代と、さよならした電車戦争~高度経済成長

    たくさんの電車が集まって、日本一にぎやかだったかもしれない松阪駅。でも、楽しい時代ばかりじゃなかった。日本中が暗い影に包まれた、悲しくて大変な時代がやってきたんだ。

    戦争と駅の悲しいお話

    それは、日本が外国と戦争をしていた時代のこと。人々の暮らしはどんどん苦しくなって、笑顔が消えていった。そして、それは鉄道も同じだった。お伊勢まいりに行く楽しいお客さんを運ぶ代わりに、兵隊さんや武器を運ぶことが増えていったんだ。

    戦争を続けるためには、武器を作るための鉄がたくさん必要になった。国は「家にある鉄のなべや、お寺の鐘まで差し出しなさい」と言ったんだ。そして、ついに鉄道の線路にまでその手が伸びた。昔、参宮鉄道が「将来のために」と作ってくれた2本あった線路(複線)のうちの1本が、「この鉄も武器にするから」と言って、はがされてしまったんだ。未来のために作られた線路が、戦争のために消えてしまうなんて、本当に悲しいことだよね。

    がれきの中から生まれた、たくましい駅前

    長い戦争が終わった。松阪の町も、空から爆弾が落とされて、たくさんの人が悲しい思いをした。戦争が終わった直後の松阪駅の前は、こわれた建物のがれきが残っていて、めちゃくちゃだった。でも、そんな中でも、人々はたくましかった。

    何にもなくなった広い土地に、人々が自然と集まってきて、品物を売り買いする「闇市(やみいち)」っていう市場ができたんだ。食べ物や服が何でもそろっていて、いつも人でごった返していた。その活気はものすごくて、当時の人はその様子を「三重のシャンハイ」って呼んだくらいなんだ。「明日からまた頑張って生きていこう!」っていう、人々の力強い声が聞こえてくるような場所だったんだね。

    さようなら、ぼくらの松阪線(昭和39年・1964年)

    戦争が終わって、日本はものすごいスピードで元気を取り戻していった(高度経済成長)。そして、人々の乗り物も大きく変わった。一家に一台、「自動車」を持つのが当たり前の時代がやってきたんだ(モータリゼーション)。

    みんなが便利で速い自動車に乗るようになると、困ったのが、地域を走る小さな鉄道だった。松阪駅の仲間だった、あのかわいい電車「松阪線」も、だんだんとお客さんが少なくなってしまった。自動車やバスとの競争に、どうしても勝つことができなかったんだ。そして、とうとう1964年(昭和39年)、松阪線は、みんなに惜しまれながら、長い歴史に幕を下ろしたんだ。

    でも、松阪線の思い出が完全に消えてしまったわけじゃない。今でも、松阪の町をよーく探してみると、線路があった場所が、そのまま生活道路として使われているところがあるんだ。昔、電車が走っていたカーブを、今はお父さんの車が走っているかもしれない。そう思うと、なんだか不思議な気持ちになるよね。

    JRの駅が新しく生まれ変わった!(昭和34年・1959年/昭和37年・1962年)

    小さな仲間とのお別れはあったけど、国鉄の松阪駅は、この時代に力強く生まれ変わったんだ。まず、1962年(昭和37年)、新しい時代のシンボルとして、鉄筋コンクリートでできた大きくて立派な駅舎が完成した。そう、これが今みんなが見ている、JR松阪駅の建物なんだよ。もう60年以上も、この場所でみんなを見守ってくれているんだね。

    そして、1959年(昭和34年)には、和歌山県のほうまで続く長ーい線路「紀勢本線(きせいほんせん)」が全部つながった。これを記念して、松阪駅の区間も紀勢本線の一部になったんだ。松阪駅は、お伊勢さんに行くだけの駅から、名古屋と紀伊半島を結ぶ、とっても重要な駅へとパワーアップしたんだよ。

    国鉄からJRへ、大きな変身!(昭和62年・1987年)

    そして、もう一つ大きな出来事が起こる。1987年(昭和62年)4月1日。長い間、日本の鉄道を支えてきた「日本国有鉄道(国鉄)」が、いくつかの会社に分かれて、新しい民間の会社として再出発することになったんだ。松阪駅の国鉄部分は、みんなが知っている「JR東海(東海旅客鉄道)」という新しい会社に引き継がれた。1907年に国の鉄道になって以来の、最大の大変身だったんだ。

    4今の松阪駅と、キラキラの未来へ平成・令和

    さあ、タイムマシンの旅もいよいよ現代に到着だ。大変な時代や悲しいお別れを乗り越えて、松阪駅は今、どんな姿になっているんだろう?そして、これからどんな未来に向かって走っていくんだろう?

    JRと近鉄、仲良しだけどちょっぴりライバル?

    今の松阪駅を歩いてみると、南側の改札はJR東海、北側の改札は近鉄が管理していて、二つの会社が一つ屋根の下で仲良く暮らしているように見えるよね。昔は火花を散らして競争したライバル同士だったけど、今はすっかり落ち着いて、お互いの得意なことで役割分担をしているんだ。

    • JR東海は「紀勢本線」と「名松線」を走らせて、地域の人の足として活躍。
    • 近鉄は「山田線」で名古屋や大阪へ、速くて便利な特急をたくさん走らせて大人気。

    でもね、よーく見ると、昔ライバルだったころの名残がちょっぴり残っていて面白いんだ。それは改札で使うICカード。近鉄では「PiTaPa(ピタパ)」が2007年から使えるけど、JR東海の松阪駅では、長いあいだ「TOICA(トイカ)」が使えなかったんだ。でも、これはもうすぐ変わる予定なんだよ。くわしくは未来のお話でね!

    もっときれいに、もっとみんなに優しく!

    最近の松阪駅は、どんどん素敵に変身しているのに気づいているかな?2013年ごろに、JR側の駅前広場がきれいにリニューアルされたんだ。広場の真ん中には、松阪の偉い学者さん「本居宣長(もとおりのりなが)」にゆかりの深い「鈴」をかたどった、大きくてかっこいいモニュメントができた。松阪の玄関口にぴったりのシンボルだよね。

    そして、もっと大切な変化も。駅の中には、車いすの人やお年寄り、ベビーカーを押すお母さんたちが楽にホームへ行けるように、エレベーターが設置されたんだ。昔は階段ばっかりで大変だったけど、今の松阪駅は、誰もが安心して使える「みんなに優しい駅」へと進化しているんだよ。

    走る電車も、すごいヤツに大変身!(令和5年・2023年)

    駅だけじゃない、走っている電車もどんどん新しく、かっこよくなっているんだ!特に注目なのが、JR東海の特急「南紀」。2023年から、「HC85系」っていう、ものすごく新しい車両に生まれ変わった。

    この電車のすごいところは、「ハイブリッド」っていう仕組み。エンジンも積んでいるけど電気の力も使って走るから、とっても静かで、地球にも優しいんだ。車内に入ると、座席が夕焼けみたいなきれいなオレンジ色で、とってもおしゃれ。こんな素敵な電車で旅ができたら、ワクワクしちゃうよね!

    これからどうなる?未来の松阪駅はもっとすごい!

    松阪駅の物語は、まだまだ終わらない。まず、うれしいニュース。さっきの「TOICA」のお話のつづきだよ。2027年の春には、ついにJR松阪駅でもTOICAが使えるようになる予定なんだ。これで、JRと近鉄のあいだにあった「目に見えない境界線」が、また一つ消えていくんだね。

    そして、駅の西側では、新しいまちづくりの計画も進んでいる。お店やホテル、みんなが集まれる広場が入った施設ができるかもしれないんだ。さらにずーっと未来には「リニア中央新幹線」が三重県を通る計画もある。磁石の力で空を飛ぶように走る夢の超特急だ。もしその時代がきたら、日本中、いや世界中から、もっとたくさんの人が三重県に遊びに来てくれるかもしれない。今のまちづくりは、そんなキラキラした未来を迎えるための、大切な準備なのかもしれないね。

    おしまい

    さあ、松阪駅をめぐるタイムマシンの旅は、どうだったかな?お伊勢さんのための小さな停車場として生まれた松阪駅が、たくさんのライバルと競争したり、戦争の悲しみを乗り越えたり、仲間との別れを経験したりしながら、130年以上もの長い時間をかけて、今の立派な姿になったことがわかったかな。

    次に松阪駅に行くときは、ちょっとだけ周りを見渡してみてほしい。JRと近鉄の改札を見比べて「昔はライバルだったんだよな」って思ったり、駅前の鈴のモニュメントを見て「本居宣長さんだ!」って思い出したり。そうすれば、いつもの駅が、まるで歴史の教科書みたいに、いろんなことを教えてくれるはずだよ。どんなに姿が変わっても、松阪駅が、この町の真ん中で、みんなの暮らしを見守る大切な場所であることは、きっと変わらない。これからも、みんなで松阪駅を大切にしていこうね。

    ものがたり おしまい 🚉

    松阪駅の歴史 年表 📚

    物語に出てきた出来事を、おこった順にまとめたよ。線路の上を、松阪駅の歴史が走っていくイメージで読んでみてね。調べ学習や自由研究にもどうぞ!

    1. 1893年明治26年参宮鉄道の駅として松阪駅が開業(津〜宮川間の開通)
    2. 1907年明治40年参宮鉄道が国有化され、のちの参宮線の駅になる
    3. 1912年ごろ大正元年松阪軽便鉄道(のちの松阪線)が開業し、初の乗り換え駅に
    4. 1929年昭和4年国鉄・名松線が松阪駅を起点として開業
    5. 1930年昭和5年参宮急行電鉄(今の近鉄)が乗り入れ、国鉄との競争が始まる
    6. 1959年昭和34年紀勢本線が全通し、松阪駅は紀勢本線の駅になる
    7. 1962年昭和37年今に残る鉄筋コンクリート3階建ての新駅舎が完成
    8. 1964年昭和39年松阪線(三重電気鉄道)が廃止される
    9. 1987年昭和62年国鉄分割民営化により、JR東海が松阪駅を引き継ぐ
    10. 2007年平成19年近鉄でICカード「PiTaPa」が使えるようになる
    11. 2023年令和5年特急「南紀」に新型ハイブリッド車両HC85系が登場
    12. 2027年・予定令和9年春JR松阪駅でICカード「TOICA」が使えるようになる予定

    松阪駅の歴史 よくある質問

    松阪駅はいつ開業しましたか?

    松阪駅は1893年(明治26年)12月31日に、参宮鉄道の駅として開業しました。130年以上の歴史を持つ、三重県松阪市の代表駅です。

    松阪駅にJRと近鉄の両方があるのはなぜですか?

    もともと国鉄(今のJR)の駅だったところに、1930年(昭和5年)に近鉄の前身・参宮急行電鉄が乗り入れたためです。お客さんをめぐる競争の名残で、今も南口をJR東海、北口を近鉄が管理する共同使用駅になっています。

    松阪駅から廃止された鉄道はありますか?

    かつて松阪駅とその周辺を結んでいた松阪線(三重電気鉄道)が、自動車の普及などにより1964年(昭和39年)に廃止されました。線路のあとは、今も一部が道路として使われています。